中川翔子、虚言癖はいじめが原因だった?父、母、中学などのルーツは

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サブカル聖地中野生まれ

「しょこたん」こと中川翔子さん(1985/5/5~、所属:ワタナベエンターテイメント)はサブカルの聖地、東京都中野区出身で、本名を中川しようこ(しょうこ)さんと仰います。小書きの、“し「ょ」うこ”さんではなく、“しようこ”さんとなります。

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1332608971580997634?s=20

これは、出生届けを「薔子(しょうこ)」で提出しようとしたが、「薔」の字が当時、常用漢字・人名用漢字でなかったために受理されず、ひらがなで「しょうこ」と書き提出したところ、誤って「しようこ」で登録されたそうです。中川翔子さんが成人後に自身の戸籍を確認するまで、家族はこの事実に誰も気づかなかったそうです。

出典:https://geinou11.com/11412.html

2004年11月より「しょこたん☆ぶろぐ」を開設しブレイクします。オタク文化の先駆けとして、マンガ、特撮、カンフー、コスプレなどの情報を2ちゃんねる用語を駆使して発信している稀有な存在でした。

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1332892934664962048?s=20

2005年からは「王様のブランチ」などに出演し、2007年には紅白出場、2009年からは自身のブランド「mmts」を立ち上げ、BEAMSと共同プロデュースを行います。2010年には「恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない」にて映画主演を果たします。まさにマルチで多芸多才。

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1332522260884721665?s=20

中学でのいじめと虚言癖

そんな中川翔子さんには虚言癖が囁かれているのですね。2019年8月22日発売の「読売新聞」インタビューで、中学3年生の時にいじめに遭っていて靴を隠された中川翔子さんに、担任の先生が靴を買ってくれたのですが後日代金を請求され、この一連のトラウマで登校拒否になり、卒業式にも出なかったエピソードが掲載されました。

しかし以前自身のブログで「卒業式に出たら、先生が靴のお金返してって言ってきて」と書いていたことが視聴者に指摘され、整合性が取れなくなってしまったのですね。中川翔子さん、しくじってしまいったのでしょうか?他にも虚言疑惑には枚挙にいとまがありませんでしたので、先人のまとめを引用します。

  • 「プラセンタ注射した」と報告した後、プラセンタ注射の経験者NGの献血を行っている
  • 「小学生でポケモンの映画を観て感動」と語るも、中川翔子さんが小学生の時には映画は未公開
  • 動物愛護を語っているものの、自身のブランドでウサギのファーを使用
  • 飼い猫・つくしちゃんを迎えた時のエピソードが数種類あり、どれが本当か分からない
  • 『不正商品撲滅キャンペーン』で海賊版商品の販売や不正DLの撲滅を訴えるも、自らが『Free!』の海賊版グッズを所持
  • 「飼い猫のほとんどが保健所出身の保護猫」と語るが、実際に保健所から迎えたのは1匹だけ
  • 『ジョジョの奇妙な冒険』が好きだと公言しジョジョポーズを披露す
  • るも、ポーズが間違っている
  • 「小学校時代は友達がいなくて」とぼっち発言を度々するも、実際には友達がいたうえにクラスへの愛着もあったことが発覚
  • 中川翔子さんが小学生の時はデビューしていなかった漫画家に「小学生の頃からファンでした」と謎の告白

なんでこのようなすぐばれるような嘘(虚言)を言ってしまうのか?ばれることによって、指摘してもらい、注目されたいのかもしれません。いじめられていたことのある人間は、急に自分に興味が持たれなくなり、相手にされなくなってしまうと不安になってしまう、という説を聞いたことがあります。嘘を指摘される状況を自ら作り出す事によって、再び注目を集めようとする訳です。

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1331606647890800640?s=20

父母のなれそめ、父との別れ

中川翔子さんの父、中川勝彦さんは1962年、東京都文京区に会社社長の長男として生まれ、慶應義塾高等学校に進学後バンド活動を開始し、1980年の高校3年生のときにNHK「ヤングミュージックフェスティバル」に出場します。高校卒業後は、慶應義塾大学法学部に進学しますが後に中退しました。俳優としての作品に、大林宣彦監督による映画「ねらわれた学園」(1981年)や「転校生(1982年)、高倉健さんの主演映画「海峡」(1982年)などがあります。

出典:https://myfavoritetopics.net/archives/2703/2

中川勝彦さんは、1992年9月に急性骨髄性白血病を発症したものの、9ヶ月の闘病生活を経て復帰しますが、その2年後の1994年9月17日に、白血病が再発し、32歳の若さで亡くなってしまいます。骨髄移植により治癒する可能性があったのですが、家族に型が一致する人はおりませんでした。お子さんである中川翔子さんを調べようとしたときに、「幼い翔子に負担をかけたくない」と、中川勝彦さんは検査を拒んだとされています。

出典:https://myfavoritetopics.net/archives/2703

ご両親の馴れ初めは中川翔子さんのお母様・桂子さんが青山で経営していたクラブに、父・勝彦さんが遊びに来たことだったそうです。後年タモリ倶楽部のモデルにもなったそのクラブには、故・赤塚不二夫さん、タモリさん、桂子さんの友人と結婚した所ジョージさん、故・景山民夫さんなどが常連客でした。

https://twitter.com/shoko55mmts/status/1332236156033855488?s=20

中川勝彦さんのデビューが近くなって別れを覚悟していた桂子さんに、勝彦さんはプロポーズします。二人はグアムで、他の駆け落ちカップルらと合同で結婚式を挙げました。いい話ですね!

更に勝彦さんから、「子供を作ろう」と言われた桂子さんは「まだデビューしたてなのに」と心配しましたが、勝彦さんは「自分が忙しくて会えない時に桂子さんが淋しくならないように」との真意を桂子さんに語ったそうです。お父様・勝彦さんは未来を予感していたのでしょうか?

中川翔子さんは、2019年に普通自動車免許を取得されたそうです。そろそろ結婚なども視野に入れた人生設計の一環なのでしょうか?これからも中川翔子さんに注目していきます!

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